musuko45

大きなゆめと小さな実行

青春時代、それは何をしていいのか、どんな将来があるのか、自分で自分がわからない時だと思う。父さんもそうだった。
わからないまま、手さぐりの状態で二十代はすぎて行った。
「勇者の園を建てる……」と言い出したのは三十歳になってからだ。
とにかく最初から、大きなことをいっていた「九億八千五百万円の勇者の園を都会の中に建てます」と趣意書をつくり、まだ五万か十万円しか集まらない時から「九億八千五百万円まであとホンのチョットです」といっていた。
ある夏の日、渋谷ハチ公前で、数人の青年達で募金活動をしていた。その日も、「九億八千五百万円まで、あとホンのチョットです。ご協力をおねがいします」と父さんはマイクを持って呼びかけていた。
すると白いスーツの紳士がツカツカと寄って来て、「九億八千五百万円まであとホンのチョットといってるけれど、実際の額はいくら集ったのですか……」と質問して来た。
父さんは、自信ありげに、「はい、あと九億八千四百八十万円です。今あるお金は二十万円です」と答えた。
その紳士は、一瞬ポカンとした表情だったがすぐに愉快そうに笑い出し、
「なるほどな、そうか、今二十万円で、九億八千万円まであとホンのチョットネ。面白い発想だね、いやたいしたもんだ、このセチガラい世の中で大きなゆめを持って……そういう考え方なら実現するかもしれませんね。あなたならできますよ」その紳士は名も告げず一万円札を募金箱に入れて立ち去ったのだ。
「今二十万円しかありません、とても大変なんです、ご協力を……」ともしさけんでいたらその紳士は協力してくれなかったのだと思う。
同じことを訴えても楽しく、ゆめがわくような、人々を感動させないと、共鳴は得られないのだと思う。
人間が他の動物と異っているところは、目の前の物質、食料だけでは満足をできないということだ。人間には常に理想・ゆめが必要なのだ。その理想は高い程、ゆめは大きい程よい。しかし、同時にその理想、ゆめに近づく努力・実践をしてゆかなければならない。それは、小さなことのつみ重ねであるが、非常に、じみで、苦しい連続だと思う。
大きなゆめを語りつつ、父さんはコツコツと募金活動を続けた。街頭募金も、バザーもその運動の一つだった。
朝六時からバザーのちらし配布もした。ポスター貼りもした。タダコツコツと続けた。
大きなゆめを見る人は多い、しかし、そのゆめを描いて、小さい実践をする人はすくない。足もとの一歩一歩の実践こそが大切なのだと思う。
その小さな実践とは、具体的に何であったか。
それは、朝早く起きることである。そしてまた、文章を書くことである。父さんは小学校の頃、作文を書くのが大の苦手であった。だが自分の考えていることを知ってもらうための必要にせまられて文章を書くようになった。
話を上手になることも、大型自動車運転免許証も、簿記も父さんは三十代になって取得した。
三十八歳になって(政治を志して)和文タイプもマスターした。
一点にむかつて真剣に打ち込んでいると道は開かれるものだ。大きなゆめを自分の手ににぎりとることのできる人は、コツコツ実践を重ねた人だ。と父さんは思う。
コツコツと続けていると、社会の人は協力してくれるようになる。

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