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喜生出生記念に四号館

父さんは、勇者の園三号館が建った五十年四月頃から次は四号館だ、四号館は、五階建ぐらいの鉄筋で豪華なマンション型式のものにしよう。と清水住建とタイアップして百五十万円もするパンフレットを印刷したりしていた。それは男のゆめである。
しかし、それはあくまでもゆめの話であって、三億、四億という額は大きすぎる。
(でもゆめは持ちつづけているのだが……)
母ちゃんが出産のため柏崎に帰った。父さん一人で寝ながら、考えた。
“今すぐに三億円という鉄筋五階建は無理だな、しかし四千万円ぐらいの木造二階建のもので三号館より一まわり大きいものなら、可能だな”と急に、具体的なプランが頭の中にわいて来た。
“三千万円のものなら、まず頭金に一千万円程あればいい、あとの三千万円は入居希望の利用者負担として出資をあおげばいい、それならできる”
頭金の一千万円の調達だが、オッカチャン(静江おばあちゃん)に貸してもらうのが一番い
い。喜生も生まれることだし、その記念に今年中に、勇者の園四号館を建てよう。
その夜は、その計画がグルグル頭の中をまわっておそくまで眠れなかった。
翌朝早速柏崎に電話をして、母ちゃんにその事を話した。
「いいわよ、オッカチャンにお金貸してとたのんで見るわ、いくら、五百万円」
母ちゃんはいとも簡単に賛成したのだよ。
それからのち、ズーット父さんは、静江おばあちゃんに「喜生の記念事業ですがネ、オッカチャンの力貸してオクンナセエテ」と熱心に、お金を貸して下さい。とおねがいをはじめたんだ。

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