子宮ガン検診に引っかかりまして……

「もし、私がいなくなったら、どうしよう」

夫は、息子をきちんと育てられるか。
そもそも、喪失感でふぬけになりすぎてしまわないだろうか。
息子は、ちゃんとご飯を食べられるだろうか……。

(ちゃんと、息子に食べさせてくれるだろうか。夫自身が気を確かにできるか)

20代の頃は、考えもしなかった責任と大事なものが目の前にある。
だから、せめて結果が悪くても生きつなぎたい。

幸いにも、まだ親も健在で、
まだまだ遠いところにあった「死」が、
一気に自分ごとに感じられるようになりました。

病気じゃなければ、検診に行かないという選択

26歳で自営するようになり、
いわゆる健診はしたりしなかったり。
そんな状況で、36歳(2014年)の時に出産
38歳(2016年)で妊娠・流産(人工中絶)をしたので、
子宮の状態は何度か確認する機会がありました。

(2016年の人工中絶時)

※1)ハイリスク出産記録
※2)稽留流産を経て、手術の記録

それ以前、34歳(2012年)の時に、たまたま、
変異した細胞(グレーゾーン)があることは確認できていたのですが……。
その時は、半年に一回の経過観察で済んでいました。

そうしてしばらくは、半年ごとに病院へ通い、診察してもらい、
そんな中で妊娠や出産時の詳細な検査があったので、
私は、すっかり慢心……。

病院の予約を忘れて仕事を入れてしまったり、
そのうちに2016年12月の人工中絶を最後に
病院にいくのを中断してしまっていました。

そうだ!「子宮ガン検診」を受けよう

そして、すっかり病院とは距離が離れていた中、
知り合いががんになったことをきっかけに、
ふたりで人間ドックを受けることにしました。

芝公園の健診センターで、いわゆる一般的な人間ドックに、子宮ガン検診をプラス。
久々にバリウムを飲んだり、採血をしてきました。

これが、2018年4月10日の午前中。
子宮ガンの健診では、女性の医師が内診をしたり、
細胞の一部をかきとる検査をしました。
その時、女医さんが、

腫瘍や炎症はないですね

と明るい声でおっしゃってたので、
なんだかひとまず安心と思ってた矢先……。

一方で、ウンチの話を少々。
午後になっても、バリウムの便が出ない。
翌日は普通の硬さの便で、その翌日も。
なんだか残便感が強くなり、翌々日には痛み出すハメに。
そのうちに、寒気や頭痛も強くなっていき……。

そうして、ひとまず内科を受診したところ、
レントゲンをとっても何か異物はない。
「バリウムそのものの炎症かも」
とのことで、整腸剤と痛み止めをもらう。

……と、ここまでが4月16日の話。

健診センターから電話が!

そして、4月17日。
健診センターから、電話が。
「先日の検査で子宮ガンの結果のみ、
至急お渡ししたい。婦人科を受診し、精密検査を受けてください」

え、私?
1年半で悪くなっちゃったのかしら?
この腹痛や寒気もそのせい?
そういえば、最近、痩せてきたよね
ここ最近の悪寒や疲れも、そのせいかも……。

そこからは、ネットで検索しまくりつつ、
翌日(4月18日)に、細胞診の結果を持って、
これまで通っていた虎ノ門病院を受診することにしました。

細胞診では何がわかったのか

健診センターで、細胞が変異していないか診る「1)細胞診」を行い、
婦人科では、その次の段階の「2)組織診」をしてもらいました。

(※検査の流れは、国立がん研究センターのサイトをご覧ください)

これは、台に座り、足を広げて内部の組織を
ちょろっとこすりとる程度で痛みはありません。

……と、ここまでが今の段階。
健診センターの細胞診でわかったのは、
2016年12月に「軽度異形成」

2018年4月に「中高度異形成」
ということ。

いわゆるがん細胞に変異する前の「予備軍」が
より増えたということらしいです。

これが、軽度異形成から高度異形成に段階が進んだということ。

で、この後はどうなるかというと。
がんに変異させるHPVというウイルスの種類を調べる検査をし、
もし、悪性の種類であれば、手術をする。
良性であれば、再び経過観察をしていく。
という流れだそうです。

※株式会社ジェネティックラボのサイトが分かりやすいのでシェアします

日常とは、ありがたい

ということで、あとは病院と相談しながら、
粛々と治療を進めていくだけです。
ひとまず思うのは、
あと、1年ほったらかしてたら、
もしかするとがん細胞に変異していたかもしれません。
それが、あと2年なら。
3年なら……。

ふー、結果は良いものではありませんでしたが、
自分の健康についてさらに気にかけていく
良いきっかけになりました。

息子はまだ3歳。
夫とも、話したりない。


親とも弟とも、話したりない。
ご無沙汰している旧友とも、話し足りない。
あわよくば、
せっかく見つけた日本語教師の仕事ももっと深めたい。

まだまだ、生きたいです!

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