musuko41

養子縁組

静江おばあちゃんは、「喜生チャンを早く、私の方に下さいね」と、養子縁組の手続きを早くするように催促した。
喜生が生まれて、十八日目の三月三日、区役所戸籍係に行った。
養子縁組をするには、養子縁組届けと戸籍謄本二通を用意し、家庭裁判所の許可が必要だ、とおしえられた。
謄本ができるわずかな時間ではあるが通路で立って待っていた。そのとき何かしら淋しさを感じた。生まれたばかりの我が子が籍をぬけてゆく……。あらかじめ納得してのことではあるが、やはりさみしかった。
フト思った。花嫁を送り出す父親が一人静かに自室にとじこもって、宴の中に出て来ない、あれも、こんな気持からなんだろうなーと。
家庭裁判所に行って許可をもらわなければいけないというのだが、印鑑だけはおすけれど、裁判所まではノコノコ行きたくないな。イヤイヤながら手離すので、好きこのんでするんではないからな。

その書類を持って柏崎に向った。きみと二度目の対面である。
いつも柏崎に行くときは、おばあちゃん達へのみやげに、お茶とかカステラを買って持って行くのだが、そのときは買わなかった。
“喜生の縁組届けの書類がなによりのみやげだ、これ以上みやげを買うことはない”とチョッピリ、スネた気持が働いたのだ。
上野駅で、二時間の時間待ちだった。その間、アメ横をブラブラ歩いた。閉店まぎわのくだもの屋が、「もう今日はおしまいだ、サービスするよ。一箱タッタの八百円」と声をかけて売っていた。
そして一箱八百円のいちごを買った。結局きみの籍といちごをみやげに持って行った。
奥の座敷に母ちゃんときみが寝てたな。その夜はきみが窓側、母ちゃん真中、父さん廊下の側に寝た。
もう、品田家は朝から晩まで、喜生チャン、喜生チャンという感じだったな。
母ちゃんと静江ばあちゃんは喜生チャンにべったり一日中っきっきり。ヨブ子おばあちゃんも、お仕事から帰れば「ホレ喜生チャン」おつかいから帰れば「喜生チャン」と抱きあげていた。
“きっと抱きぐせがつくな”と思ったりもした。
父さんも何度か抱いてみた。やっぱりかわいい、我が子なんだね。ただ、母親とは、かわいさの感じ方がちがうようだ。母は、自分の身体で宿し産んだ、という実感がある。父の場合は、身体をいためた、実感はない。自分が愛する妻が産んだ子だというのかな、なんとなく間接的な感じもするな。毎日一緒に暮していないせいかもしれないね。
父さんが抱いているとすぐあきちゃってチャメッ気が出てしまうんだ。
父さんの指を、喜生の口に入れると、オッパイとまちがえてキュキュとよく吸ってたな。また、たくわんをしゃぶらせようとしたら、母ちゃんが、「まだ一ヶ月間は新生児で変なことをしてはいけないのよー」ときみを奪いとった。まあ当分、というより、静江おばあちゃんが生きている限り、品田家は、喜生がヒーロー、主役だな。

養子縁組の手続。裁判所に行くことなどは全部おばあちゃんがした。父さんは立ちあわなかった。

のちに父さんが住民票をとりよせたとき、なにげなく見ると君の本籍はすでに、新潟県柏崎市荒浜になっていた。父さんたち夫婦の本籍は品川区西大井六丁目五千七百番地。

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