種馬じゃないぞ
喜生、君が産まれて、はじめて母ちゃんと父さんがけんかした、それは君の出生届けのことであった。
喜生が生まれて、三日目、父さんは品川区役所に電話をして、出産届けをするには、役所の窓口に二週間以内に届けでるようおしえてもらった。
そこで、相崎のおばあちゃんに、その書類を早急に送って下さいと、とたのんでおいた。
母ちゃんと君は、柏崎駅前の山田医院から生まれて六日目の二十日に、無事退院しておばあちゃんの家に帰って来た。
二十一日土曜日、東京の父さんの所に母ちゃんから電話が来た。
「出生届けをする書類を東京に送るの大変だから、おカアチャンにたのんで柏崎市役所に出した方がいいと思うのだけど、私達の本籍は品川区何番地でした?」
と、その電話をきいて、何となく父さんの仕事がうばい取られたような気がして面白くない気持がわいて来たのだが……。
「そうか、どうぞご自由に……本籍地は品川区西大井六−五七〇〇だよ」と答えて電話を切った。
しかし、電話を切ったあとから何かしら父さんは無視されたようで、ムシャクシャして気がおさまらない。
父さんは一人東京におきっぱなしにされ、入院も柏崎、名前も品田姓を継がせる。しかも、喜三治の喜をとって喜生とつける。
君の入院から退院、そしてそのあとの世話もすべて品田側でとりしきる。
生んで育てるのは母親の責任かもしれないが、父親の出る幕は社会的に人間として認められる出生届けの届け出ぐらいは父親がやらなければ、父親のやることは何もないじゃないか、種馬じゃあるまいし。もし万が一にも字を間違って届け出たら責任は誰が取るんだ。
品田家は、何もかも女ばかりで進めようとする。結婚式も、向うの女親のいいまま、クソ頭に来る。養子でもないのに、養子扱いにして、頭にだんだん血がのぼりヤツあたり気味に加熱。
父さんは母ちゃんに電話をかけ、
「もし、名前を間違って届け出たらどうするんだ。どんな育児をしようが何を食べさせようが、そんなことは母親にまかせるけれど、父親として子どもにしなければいけない事があるだろうよ。いそがしいとか日数がかかるとかそんなこと問題じゃないぞ。第一何でもかんでも、お前の家は女ばかりで決めようとする。きらいだよ、今までも何度もそんなことがあった。ボクは養子じゃないぞ、ものにはけじめというものがあるんだ。男としてやることがあるんだ男として。それをしないでボクは何をするんだ……」
父さんはいっきょに、語気を強くいいはなった。
「いやあ、私はそんなつもりでいったんじゃないわ。カアチャンにたのめば簡単だと思っていったのよ。カアチャン達が、こっちに届け出なさいといったんではなくて、私がかるい気持でカアチャンにたのんだのよ」
「心の配慮が足りないよ、心の……、結婚式のときに、あなたいそがしそうだからこなくてもよい、と言われたら、どうする。それでもいけるかよ」
父さんは、いいたい放題をいった。そしたら例によって例のごとく、母ちゃんはだんまり戦術。そして泣くんだ涙を流してシクシクと。
母ちゃんはいつもそうだ。「だって、でも……」というけど、大きな声をあげたり雄弁になって反論することはしない。いつも黙ってプウーとふくれてシクシク泣くんだ。
その時も、電話の向うで、涙を出して泣いていた。
一寸言いすぎたな。はじめの電話のときに、いやボクが出生届けを出しにゆくと言えばよかったなーと思った。
父さんは出生届けを出しにゆくのは照れ臭い感情もある。だから、回りの人から「うれしいだろう」といわれても「ウン、まあ」と感情を正直に出せないのだが。
自分の子ども、自分の愛している妻が生んだ子どもの出生届けは、やはり自分自身の手でやりたいと思ったんだよ。
翌々日、母子手帳と医師の出生証明書の署名の書類を送って来た。
二月二十三日火曜日、きみが生まれて十日目、父さんは品川区役所に出生届けをした。