やっぱりあねご
こんなこともあった。
みんなの会では、勇者の園を建てるためにバザーを開いていた。
四十九年十月のバザーの時だ。渋谷区新橋区民会館で開いたパザー会場に、母ちゃんはやって来た。例によって女子大の友達五~六人と一緒に来た。
母ちゃん一人が大柄で、あとの友達はみんな普通サイズの人ばかりだ。だからどうしても母ちゃんがほかの人を引き連れているように見えるのだ。そのときは、バザーの手伝いをしてくれる人にみんなカスリのハッピを着用してもらった。
普通サイズのハッピに無理矢理手を通した母ちゃんの姿は、胸がしめつけられ、腕にハッピが食い込んでいるように見えた。どう見てもカッコイイ姿とはいえなかった。それでも母ちゃんは平気な顔をして、こちらの指示通りにカスリを着て、にぎやかな笑い声をあげ、バザーの手伝いをしてくれた。
友達の女子大生達に、特別あれこれと命令する様子はないのだが、母ちゃんが何かいい出すと、ほかの女子大生たちも自然にその方向にむかってゾロゾロ、ゾロゾロと従って動く、という感じだった。
またしても、
スズメの学校のセンセイ
を連想させるのだった。
その日パザーの終ったあと、交歓会を開いた。衆議院議員の麻生良方議員(後政治評論家)を
講師に招いて一時間の講演をしてもらった。「女性は一日一回は鏡を見て笑顔をつくれ」という話であったが、何だか楽しそうにその話をきいていた。
“妙に女親分的であり、また妙に女房的なところもある女性だな”と思ったりもした。
しかしそれでも、父さんは、“彼女こそがおれの女房だ”と思ったりはしなかった。
気持のすなおな面白い娘だなと思っただけだったんだよ。
そのころ、父さんは三十歳だった。青年を中心にパザーや、勇者の園を建てるための募金活動や献血運動をしていたが、若い女性達(もちろん男性もだが)も大勢参加していた。父さんはその頃、やはり会員で学校の先生をしている六歳年下の女性と恋をしていた。
だから十一歳年下の女子学生の母ちゃんは、子どもに見えて恋の対称にはならなかったのだ。
そのあたりのことを想い出話のように話し出すと、母ちゃんは、急に黙りこくってプイとしているんだよ。
おもしろいね。
父さんも、結婚するまで、ケッコウもてたんだよ。ふられることもあったけどね。
恋心でないわよ
会員になって暇をみつけては会の活動に参加したのよ。バザーの売り子になったのははじめてのことで楽しかったわ。
父さんはよく手伝ってくれたと言っているけど、母ちゃんはそれほど協力しなかったわ。
そうね、月に一~二度手伝ったかしらね。
父さんは、バリバリ動き回り、仕事には情熱的だったわ。
自分の選んだ仕事に誇りを持っている父さんに何か魅かれるものがあったような気がするわ。
でも恋心ではないと思うのだけど……。
↑上に戻る