musuko18

母さん優位

毎日電話で話し、三日に一度デイトした。その都度、父さんは、

「結婚しようよ、早く」とせまったが、母さんは、「好きだけどすぐには結婚できない」と言った。

その理由は二つあった。

一つは、母ちゃんにプロポーズをしている男性が病気で入院した。入院をしているとき「私は結婚します」というのが、その人に悪いということと、もう一つは母さんは民青活動から、共産党活動をしているのだが、父さんが革新的な思想を持っていないので、思想的な問題で亀裂が生じるのではないだろうかという不安があったようである。

「じゃあ、ぼくを好きなのか嫌いなのか」と迫ると、

「好きよ、本当に好きです……けど、すぐには……」とくり返した。

ある時は新宿の喫茶店で、ある時は日比谷の公園で、あるときはホンダシビックの車の中で話をした。

「きみを好きだという人が病気になっているからその人に悪いから結婚できないというけど、結婚は本当に心のそこから愛し合える者同志が結ぼれてこそ幸福なんだよ。真実の生き方をしていればその時はショックでも、いつかわかってもらえるよ」といい。

政治活動のことになると、さもものわかりよいという態度で、

「ぼくは、保守でも革新でも右でも左でもないよ。もしきみが本当に正しい思想だと信じているのならぼくを理解させるよう努力してゆけばよいではないか」といった。

こで一寸政治思想についてふれておこう。父さんが小学校たしか三年頃だと思う。学期の途中で、若い男の先生が突然退めた。風のうわさに「アカだからやめさせられたのだ」という話だった。オールバックの髪が長く青白いやせた、何かしら病的な感じの先生だった。

小学生の父さんに共産主義がどのような主義だかわかるはずもないのだが、それが父さんに対してはじめて出会った政治思想だと思う。その時おばあちゃんは、父さんに、

「ソ連では、子どもが産まれたらすぐ親と子が別れ別れに暮すんだって、共産党の国はコワイネ」といった“お母ちゃんと離れるのはコワイ”その時、そう思った。

先入感というものはおそろしいものだ。今でも共産党の名前をきくとそのことを想い出す。そして今冷静に判断すると、親子が離れて暮すということは保育園のような公共施設が充実しているということであったかもしれない。ともあれ当時はレッドパージといって共産主義の思想を持っている人は公職追放をされた時代である。共産主義は悪者のように思われていた。そんな環境の中で育った父さんは今でも共産主義を深く知った上で正しい判断をしなければと思うたて前と同時に、どこか本能的に拒否している面とがあると思う。

今まで二十歳から三十四歳まで何度か選挙投票に行った。自民党の人、社会、民社、無諸属の人その時によっていろいろな人の名を書いた。しかし共産党と公明党の人を書いたことがない。

母ちゃんは共産党オンリー。母ちゃんはその活動のため、夜おそくまで同志と活動をしていた。

結婚してそれがゆるされるだろうか、思想的に理解してくれるだろうか、不安だったようである。

父さんは母ちゃんを好きだった、しかし、その思想まですぐに好きになることはできなかった。だから「思想は個人の自由だからみとめるよ」といいながら、「とにかく早く結婚しようよ」とせまった。

むつかしい話をしていても別れるときキッスをすればすっかり楽しくなって、じゃまたね。ととても気持よく帰ることができた。

同じ思想でないなら

二月十五日。父さんからプロポーズされ、大きな声で笑っていたのだけど、あっていると楽しいし、父さんの強引な言葉におされ気味、一ヶ月もしたころ母ちゃんも結婚したいと思うようになったの。

父さんは、今すぐにも結婚しようというのだけど、母ちゃんはすぐにはできない、と言ったの。すると、「何故だ、何故だ、ぼくを好きじゃないのか?」と迫るの。

理由は、思想的なことなの。母ちゃんは革新、父さんは保守。この二人が結婚してうまく生活できるだろうか。思想の食い違いがもとで口論がたえないのではないだろうか。夫婦は同じ思想のもとに生き、子供を育てた方がよいのではないだろうか。

父さんにもっと革新の支持思想を持ってもらうまで結婚しない方がよいのではないだろうか。そのことで悩んだの。

そんな不安を父さんに打ちあけると、父さんは、

「ぼくは保守でも、革新でもないよ、もしきみが正しいと信ずる思想があるんだったら、その思想をぼくにおしえこめばいいじゃないか。論理的な話もきくよ、納得すれば実践もするよ、たしかにみんなの会を大きくしてくれた人は革新的な考えの人より、保守的な人の方が力になってくれた。

しかし、保守体制を支持して、みんなの会を運営しているのではないよ。

むしろぼくは、公務員で過激な政治運動をする人や、社会の矛盾ばっかり取りあげて、革新だ革新だといって、働かないでストばかりする大企業の組合員より、よっぽど革新的だよ。きみのようにマルクスレーニンを信奉する共産主義者ではないけど、原始共産主義者だよ。きみは、保守がいけない、大企業がいけないというばっかりで、それ以上に論理的に納得させようとしないじゃないか。

デイトの時に一時間ずつでも思想の勉強会をするとか、読書会をするとか、具体的なことでもするなら話はわかるけど……」

と父さんに逆に叱られてしまうの。

たしかに父さんから指摘されるそれらのことは、同じ民青活動をしている仲間や先輩から得るものとは違う方向からのもので新鮮なものであり、うなずけることが多かったの、それがまたとても嬉しかったの。

父さんは○○党支持を凝り固っているわけではないし、人間性にも魅かれるし、むしろ、別の思想をもっている人からアドバイスや批判を受けた方がよいのかしら、といろいろ考えがかわって来たの。

電話で三十分も一時間も、思想のことで話が続くの、感情的になって電話を切ると夜の十二時頃でも父さんは三鷹のアパートまで来るの、朝の五時頃まで話したこともあったのよ。

よくけんかもしたけど、思想的な話の原因は、みんな母ちゃんの方にあったわ。それが青春というのかしら。

父さんは、「きみは若いよ、たしかに矛盾もあるけど、そんなに理屈通りにはいかないよ。ともかく早く結婚しようよ」とよく言ってたわ。

でも、そんな時を重ねるうちに、だんだん父さんを好きになっていったの。

母ちゃんのアパートには電話がないので、母ちゃんの方から父さんに毎日電話をかけたの、振り返ってみると結婚するまで一日も欠かしたことがないの、母ちゃんもびっくりしているわ。

はじめは、父さんが、「必ずかけなさい」と言ったので、その通りにしたに過ぎなかったのだけど、だんだん母ちゃんも声を聞かなければ気がすまなくなったのは本当なの。

 ブログ村

↑上に戻る