籍だけ、お籍だけ
五月六日、母ちゃんと柏崎から帰ったその翌日から、毎日、静江おばあちゃんは電話をかけて来た。
一日に三回来たときもある。
「美津子は私の宝ですテ、籍だけオクンナセエテ」
「財産全部美津子にやりたいですテ」
「東京でお兄さんの名前をそのままでもいいから、お籍だけいただきたいですテ」
熱心に、同じことを何度も何度も、かなり高い張りのある声で……。
父さんが不在で、川村さんや坂元和夫さんが受話器をとることもあった。
「私は美津子の母でございます。足もたたず、目も見えない、あわれな老女です。どうか、あなたさまから、広升さんに籍だけ下さるようにお伝え下さい。私は毎日泣いておりますテー」と伝言することもあった。
籍だけ、お籍だけ、と必死にすがるような熱心なわりに、おばあちゃんは、どこかユーモラスなところがあった。
電話の向うから、
「ところで兄さん、美津子ともう夫婦になってるんですかね」
「赤チャンできてるんですかね。赤チャンが早くできるのはエエですともネー、籍だけおくんなセエテ」
ときには、ちょっと前流行していた殿さまキングスの“女の涙”という歌を調子はずれのメロデーを二番までうたってきかせてくれることもあったんだよ。
川村さんや坂元さんまでも、
「柏崎のオッカチャンは、お籍のことは必死な感じだけど、どこかかわいらしいな、陽気だよ。私の味方になって下さい。“みんなで遊びに来て下さい”と言ってたよ」とおばあちゃんのことでにぎやかな話になることがあった。
毎日、毎夜、おばあちゃんの電話に、父さんも負けてはならじと、二日に一回は電話をかけた。
「親孝行はしますから、どうか籍だけはカンベンして下さいテ……」と。
毎日の電話でおばあちゃんも突張る、父さんも突張る。お互いにゆずらない。しかし不思議なもので、その中に信頼感のようなものがわいて来た。
フト、ひまなとき、何かしらそヤモヤして何をしていいかわからないとき、“そうだ柏崎のオッカチャンに電話して、またくれのやれないのと一発やってみよう”とダイヤルを廻した。
二日ぐらい電話をしないでいると、ヨブ子おばあちゃんから電話がかかって来た。
「“兄さんから電話がこない”としょげていますから電話をしてやって下さい」とヨブ子おばあちゃんは言った。
母ちゃんが勤めている保育園にも、毎日のように静江おばあちゃんは電話をして、
「私をウッチャッチャッて勝手に結婚をしてもいいから。お籍だけは、絶対に……」と言っていた。
ときには母ちゃんと父さんは、
「この問題があるから、二人の青春がドラマになるんだよな、充実感があるのかもしれないな」
と笑った。事実、この本も、静江おばあちゃんの、お籍の問題で随分原稿ができた。
ともあれ、静江おばあちゃんの“品田家”を“品田姓”をの執念はモノスゴイものだったのだ。
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