陰の人
きみたちの人生にとって、もう一つ大切なことを書いておこう。
“野球”にたとえてみよう。そのチームの投手のカは、チームの勝負に大きな影響を与える。
元気になげぬきゲームに勝つと、その投手めがけて、新聞社・テレビ局の人が殺到する。あたかも、その投手一人で勝ったように……。
だが実際には、投手のなげる球を好リードした陰の人があってこそ勝てるんだ。
マスクにプロテクターをつけ、ズーット中腰で、球を受け続けた捕手(キャッチャー)の力がある。
そしてまた、ライト・レフト・センター、ズーット遠くで守ってくれている外野手の守りがあるんだ。
野球は、ピッチャー一人の力では勝てない。どんなに名投手で相手に点を与えなくても、それだけでは勝てない。攻撃をして点を入れなくては勝てない。
野球とは、チーム全体が、力を出し合い協力しあって勝てるものなのだ。
しかし、世間は、そのチームの、有名な人、特定の選手だけをヒーロー扱いにする。
その人だけが、チームを引っ張ったように見える。ヒーロー扱いされる人は常に少数で、多くの人は、陰の人・裏方である。
父さんは、病気したとき思った。
身体を診てくれるお医者さん、脈を測ってくれる看護婦さんは、ありがたいんだ、命の恩人だと思った。
ある日、レントゲン検査で、検査室に行った。
「広升さん五番にお入り下さい。肩の力をぬいて、そのまま(パタンとドアーを閉め)息を吸って、とめて……はい結構です」
この検査室のレントゲン技師の人も、父さんの病気を守って下さった人なのだ。しかし、その人の名も、感謝のお礼も、退院の時のつけ届けも、しないまま、知らないまま退院した。
細菌の検査をしている検査室の人、薬剤師さん、食事の用意をしてくれる人、運んでくれる人、病室を掃除してくれる人。病院では多くの人が働いている。患者の立場からは、医師と看護婦は、ヒーロー・ヒロイン、あとの人はみんな陰の人、裏方である。
そして、その裏方の人の方がだんぜん多いのだ。
話を転じて、みんなの会、勇者の園にあてはめて見よう。昭和四十二年九月二十九日、父さんがみんなの会創立を呼びかけて、六名の青年達が集まった。
そして、十二年間みんなの会、勇者の園は多くの人に支えられて、今日までやって来た。
テレビや新聞に何度も報じられたのだが、そのどれもが、広升勲を主役に、勇者の園の顔として取り上げてくれた。丁度、勝った野球チームの投手のように扱われて来た。
それは、それなりにすなおに感謝をしておればよいことであるが、忘れてならないのは、父さん一人が勇者の園を大きくしたのではないということだ……。
たしかに呼びかけ、提唱したのは父さんだった。しかし、大きくしたのはそのために働いた大勢の人なのだ。
喜生・健生が生まれるズーッと前から、母ちゃんと結婚するよりも前から職員の川村おじさんは野球で言えばキャッチャー役だ……。その川村おじさんよりも前に、キャッチャー役をしてくれた人もあった。
バザーのお手伝いをして下さる、酒井克ちゃんのおじいちゃん、立入・寺沢・飯田・三浦のおばちゃんたちも、野球で言えば、内外野を守ってくれるチームの一人だ。また、喜生や、健生が大きくなったら、どこでどんな人が力になってくれているか、表面に見えない人の力を知ることもあるだろう。
銀行の保証人になってくれた人、お金を貸して下さった人、土地を捜して下さった人。多くの多くの人の善意・好意が大切に結びあわせられて、みんなの会の勇者の園はあるのだ。その人たちのあることを知り、その人たちの好意を忘れてはならない。
父さんが子どもの頃、おじいちゃんは戦死していたので、母子家庭だった。お父さんのいる家、お金のある人をうらやましいと思った。
小学校の近くに、バス会社の社長をしている家があった。そこの中学生は、いつも、黒い自家用車に乗っていた。
「お金持はいいな、父さんが生きていて社長だったらいいのにな……」と思った。
世の中は変って、自動車そのものはそれほどめずらしいものではなくなった。しかし、人間の生活形態、考え方はそれほどかわってはいないと思う。
君たちに接して下さる多くの大人の人たちは、きみ達に対して、やさしく、やさしく接して下さることと思う。
それは、父さんとの結びつきの上にできているものだ。それも、父さん一人個人広升勲というよりも、勇者の園の責任者、広升勲という社会的責任者としての人と人との交わりの中にあってのことである。
決して、きみ達、子どもの能力を評価して、やさしく、またほめられているのではない。
どんなに貧しい家に生まれても、富ある家に生まれでも、父や祖母に名声があっても、子どもはただの子どもなのだ。卑屈になることもないし、いばってもいけない。どんな環境に置かれても、あかるく、すなおな気持で生きて欲しい。
どんな場合も、主役は一人、あとの多くの人は裏方、縁の下の力持ち役である。
永い人生で、主役になれることは少なく、そのほとんどは、脇役・裏方・縁の下の力持ちの役まわりの方が多いと思う。その時も、せいいっぱい、その役割を果すよう。
そして主役がまわって来たときは、脇役・裏方の陰の人の力があってこそ、主役を演じられるのだということを忘れぬよう。
また同時に、その時は、堂々となりきって主役を演じるように。
あたえられた役を、立派に果す、それが万人のためになるのである。
今、父さんは、外に向って、せいいっぱい主役を演ずるべく頑張っている。
それだけに、家にいる間きみたちと遊ぶ時間がない。マイホームパパになれないので、母ちゃんのご機嫌ななめのことがよくある(理解協力はしてくれるのだけれども……やっぱり時には)
だから、家に帰っては、母ちゃんにペコペコ。母ちゃん主役、父さん幕のかげ。
やがて、きみたちが、成人したとき
「広升喜生・健生さんのお父さんは、広升勲という人ですって……」といわれるような、きみたちが主役、父さんは、きみたちの裏方・陰の人になりたい。
まだ、どんな才能の持主なのか、見きわめさえつかぬ、きみたちに、健康な男であれ、賢い男になれ、出世しろ、親孝行しろ、と親の願いかけたまま、ひとまずペンを置くことにしよう。
今、昭和五十四年十二月十四日、夜十一時十五分、勇者の園三号館の広升宅の台所で原稿完成。
喜生も、健生もスースー気持よさそうに眠っている。喜生の隣りに、小さい熊。健生は、自分よりも大きなパンダのぬいぐるみをそれぞれに並べているのが面白い。
母ちゃんは大きなおなかをつき出してねている。あと二ヶ月程すると「オギャー」だ。
果して、妹が出るか弟が出るか。