結婚しようよ
久し振り、一年振りぐらいに母ちゃんから電話がかかって来た。昭和五十年二月十日頃だ。
「保育園の同僚の人のいとこで病気で輸血をしなければなったので、相談に乗って下さい」という用件だった。
「元気かい、久し振りだね、時には社会的な用ではなくて、私的な用で逢うぜ、お互いに若いんだからね」そういって、二月十五日土曜日、デイトの約束をした。
なつかしい人にあうという気持で、恋心ではなかったが、なんとなくウキウキした気持で、五反田駅の改札口で母ちゃんが降りて来るのを待った。
来た。
オカッパ頭で眉毛ギリギリの長さの髪、ヒットラーの将軍達が着ているようなモスグリーン色の部厚い感じの丈の長いオーバーコートを着ていた。二年振りに逢った母ちゃんのスタイルは相も変らず目立たなかった。
“あいかわらず地味でやぼったいなー”と思った。
駅前の喫茶店グリーンに入り、父さんはコーヒーを、母ちゃんはレモンティーをたのんだ。「あのね、輸血のことは、親戚の人にたのんで間に合ったんですって、すみませんでした」
「いいよ、いいよ、きみに逢えただけで。ところで順調かい」
「ところで、結婚するらしい、と風のうわさにきいたけど本当なのかい」
「エエ、プロポーズはされているんだけど、どうしても気持がついてゆかないの」
「いつプロポーズされたの」
「三月」
「エッ、今二月だよ」
「去年の三月」
「なんだい、一年も前かい」
「そうなのよ」
「一年も前にプロポーズされて決心がつかないのなら、本当に好きなんじゃないよ、やめた方がいいよ。つきあいは長いの?」
「学生の頃からだからもう五年になるわ、私の方はズーット、普通の友達という感じでいたのよ。とても真面目な人なんだけど、ゆめがないというのか、その彼とこうして喫茶店で話をしていても、堅苦しい零囲気になって来るのよ」
「その点、ボクといたら楽しいだろう」
「そうね、広升さんといたら、何でも話せて楽しいわ」
母ちゃんは、大きな声で、息を吸いこみながら笑う、特徴ある笑い声をあげながらよく喋った。
「話は変るけどやっぱり養女だから養子をとるんだろう?」
「あまりそのことにはこだわらなくなったわ。養子にならなくてもいいみたいよ、私も前はどうしても家名を継がなければいけないと思っていたけれど、今はもっと自由に、自分自身の生き方を主体的にもってゆこうと思うようになったの。だってお嫁に行っても、かあさん(養母)を捨てるということではないでしょう」
「じゃあ、嫁に行くということもあるのか」
「そうね」
土曜日の昼すぎで喫茶店の客はみんな、くつろいだ雰囲気でにぎわっていた。
父さんも母ちゃんも、何かしら楽しそうに話をしていた。
「じゃあ、ポクの嫁さんになれよ、幸福になれるぞ」
父さんは笑いながら普通の声でそう言った。なんだか自然にそういった。生まれてはじめてのせりふだった。
「広升さんと、大変なことよ。普通の人とちがうもん」
その声は大きく、うれしそうにはずんでいた。
回りの席に坐っている人にも聞えるような大きな声なので照れ臭くなった父さんは、
「オイすこし声をおとせよ」と言った。
母ちゃんは、大きな身体を縮めるようにして急に小さな声になるのだが、またすぐ大きな芦になった。
親の話・兄妹の話・政党活動を熱心にしている話・老人問題の話・友人たちの話などしたのだが終始楽しい雰囲気だった。
そして、時々、話の間で、くり返すように、
「やっぱりきみはボクと結婚するのが一番幸福だな、今日昭和五十年二月十五日は二人にとって大きな人生の記念となる日だから覚えておいた方がいいぞ」
「そうね、広升さんには何でも話せて、気持が楽になるわね」
「そうだろう、楽しいだろう。まずはワンラウンド、ポクの勝だね」
母さんにプロポーズをしているという男性には一度も逢ったことはないのだが、その男性を意識しながら、右手をにぎり、ボクサーの勝利の喜びのように振って見せた。
例によって、息を吸い込みながら笑う声をあげながら、
「広升さんは本当に面白いことをするんだから」と大きな声で笑った。
その日は、二時間ぐらい喋った。
母ちゃんは、「今から委員会があるから」というので、次の土曜日にまた逢う約束をして別れた。
喫茶店から駅までほんの百メートル程であったが、その間にも、
「本当にボクの嫁さんになれよ、幸福だよ」と口説いた。
何だか楽しそうに聞いていた母ちゃんが、切符の自動販売機から切符を取りながら、
「何だかオジサシと話をしているみたい」と言った。
それがその日の母ちゃんの最後のせりふだった。
母ちゃんを見送ったあと、何だかさわやかな楽しさが残っていた。
しかし、「何だかオジサンと話しているみたい」と言われた言葉が気になった。
“十一歳の年齢の差はハンディがあるのかな。ヒョッ卜したらふられたかな”と思ったりもした。阿部ビルの階段をあがりながら、“あれ、オレは彼女に惚れたかな”
母ちゃんとはじめて逢った日から早四年、その四年間今日の今日まで何も感じなかった父さんが、母ちゃんのことでとらわれていることに気がついた。
その時から、母ちゃんが唯一人の女性になって来たのだ。つまり、父さんが母ちゃんに恋を感じた最初の日なのだ。
次の週の土曜日が待ち遠しかった。朝からウキウキ楽しかった。昼近くに電話がかかって来た。
「広升さんですか、美津子の兄の小林ですが」
「あっ、小林さんですか、お久し振りですね、お元気ですか」
「エエ元気です。実は美津子からの伝言をたのまれたんですが、美津子は風邪をひいて今日ゆけないと言っておりますので……」
正樹おじさんからの電話なのだ。
約束していたのに母ちゃんはこないという。ウキウキ気分がペッシャンコ。
いろいろ考えた。
“あんまり、結婚しようよ、嫁さんになれよといいすぎたから、来るのがイヤになって、お兄さんを通して断って来たのかな??”……。
“フラれたのかな??”
父さんはこの頃から、母ちゃんに、心底惚れてしまったのである。
はじめて逢ったのは四年前なのだ。
献血の運動にも協力してくれた。老人家庭の訪問活動も参加してくれた。集会や、レクリエーションにも積極的だった。しかしその頃は何も感じなかった。
会から離れて二年間も逢っていなかった。その間も、別段淋しくも恋しくも感じなかった。それがフト、友人の献血の用で再会した、それがキッカケでプロポーズをし、恋のとりこになってしまったのである。
どうしてそうなったのか、ときかれても、返事に困る。再会したとき母ちゃんにプロポーズしている男性がいるときかされた、それでファイトがわいたのかもしれない。
父さんも“もう三十四歳になった、そろそろ結婚しなくっちゃあ”とあせっていたのかもしれない。
母さんとデイトを重ねるようになったある朝、ヒゲをそっていたんだ……、なに気なく鏡を見ていると、あごひげの中に白髪があるんだ。ドキッとした。“結婚しなくっちゃ”と思ったね。
ともあれ、人の定めは神のみぞ知る、という感じだ。
それからは平均一週間に二度の割り合いで逢うようになった。
父さんが、母ちゃんに、
「毎日電話をかけろよ」というと、母ちゃんは毎日、一日も欠かさず、父さんの所に電話をかけて来た。
父さんの方から好きになってプロポーズしたのは間違いのない事実なのだが、毎日、電話をかけて来るところを見ると、母ちゃんも父さんに惚れていたんだと思うんだ。
母ちゃんが住んでいるアパートには電話がないんだ、おまけに三鷹市から都内に電話するには十円玉が沢山いるんだ、その十円玉を毎日、十枚も二十枚も用意して、公衆電話から電話をしてくるんだから、母ちゃんの惚れようもモーレツだったんだよ。
ともあれ、喜生君は、お互いによく知り合った上で愛し合うようになった父さんと、母ちゃんの愛情の中に生を受けて産まれたんだ、だからキミは本当に幸福なんだよ。
いきなり嫁さんになれよと大きな声
二年振りに父さんに逢った。父さんは、かわりばえがしない等といってるけど、母ちゃんは、久し振りに逢うのでおしゃれをして行ったのよ。
再会の印象ね。
父さんには悪いけど、“年をとったな”と思ったの。その時父さんは三十三歳だから、もう中年のおじさんよね。
でも話ははずみ楽しかったの。
母ちゃんは、大きな声で笑うのが特徴なので、父さんから、「すこし声をおとしてしゃべれよ」と何度も注意されたの、だって父さんおかしなことばかり言うんだもの。
話の途中で突然「オレの嫁さんになれよ、しあわせだぞ」とプロポーズしたの。
一生に一度の結婚でしょう、そのプロポーズを、二年振りに再会したその日にされるなんてびっくりしたわ。
でも母ちゃんは何とも感じないのでただ、大きな声で笑っていただけ。
だって、父さんは、一生独身で通すのではないか、と思っていたし、年齢差もあるし、父さんと結婚するなんて考えたこともなかったし。
母ちゃんは、その頃結婚に対して考えがチョットかわっていたの、それまでは、養子をもらわなければならないので田舎に帰って、お見合いをし、家を継がなければならないものと思っていたの。
でも、二十二歳頃から異性を愛することを知り、結婚は、自分が本当に愛する人とするものであって、養子にこだわっていたら、恋愛もできないし、幸福な結婚もできない。
養子問題から離れて、本当に好きな人と結婚したい、そう思いはじめていたの。
柏崎に静江おばあちゃんがいるので、老後に不安のないよう守ってあげなければと思う気持に変わりはなかったけれどね。
本当に好きな人と結婚をして、おばあちゃんのことは、愛する二人で守ってあげればよいのでは、と思うようになったの。
父さんは、「養子にならなくてもいいみたいよ」と母ちゃんが言ったというのだけど、そのときそんなこと言った覚えはないの、ともあれ、異性を好きになることはすばらしいことだと思っていたのね。
それからというものは、会うたびに、父さんは、
「結婚しようよ、しあわせになれるぞ」
とか、「ぼくは一人でも立派に生きてゆけるけど、きみが嫁さんになったら、もっと立派な人間になれる。きみもすばらしい人生になる」
とか、「オレは一人でも生きてゆけるけど、きみはオレ以外の人と結婚しても、満足を得られないよ」
とか、「まあきみのことだから、他の男の人とでもあわせてゆくことはできると思うけど“幸福だなあ”と思う満足感を味わせてくれる男はいないよ、いくらきみが男に尽しても、男の方から与えられるものがなければ長つづきしないよ、夫婦はお互いにプラスになりっこしなければ……。その点ぼくだったらきみは得るものがいっぱいあるよ。ぼくと結婚するより他に道はないよ」
父さんは妙に自信タップリに、強引に、しつっこく、せまったの。でも、どこか明るく、悲壮感がなかったわね。
母ちゃんには、それより、一年前にプロポーズをしてくれた人がいたの。前の方で書いた同じ年の男性、四年ぐらいただのボーイフレンドとしておつきあいしていたあとでのプロポーズだったの。
その人は父さんとは正反対の性格、母ちゃんの気持を大事にする余りに、何か母ちゃんには物足りなくて、頼りになれなくって、その人にプロポーズされたときは、元気のよい母ちゃんも静かになり妙にしめっぽくなったの、父さんの時は笑ってばっかり。
その人とは、一時期“結婚しようかな”と思ったこともあったけれど、一年位気持が決らず不安だらけ。
そんなわけで、だんだんと父さんの押しに魅かれていったの。
今は父さんと結婚して本当に良かった、と思っているの。
父さんと一緒にいると楽しいの、でもおこると怖い、でもその中に暖かさがあり、けんかした時はわからないけど、あとで冷静になるとよくわかるの父さんのよさが。
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