キミはみんなの救世主
「オメデタです」堀医院の男の先生にそう言われてすぐ、三十分もたたない間に、柏崎の静江おばあちゃんに妊娠の知らせの電話をした。
小さな電話ボックスに二人が入って父さんが先に話した。
「そうですか、できましたか。近くに住んでたら二人で乾杯ですがね。来年の二月に産まれますか。ヨカッタヨカッタ」静江おばあちゃんは大喜びをしてくれた。
ヨブ子おばあちゃんは、「少し早すぎましたね」と冷静だった。
その頃も、静江おばあちゃんと父さんの間では、養子になるかならないかで毎日電話でおし問答をしている最中であった。
しかし、結婚式の予定だけは、静江おばあちゃん達の方で柏崎市内の結婚式場で九月二十一日と決めていたのだ。
九月二十一日だと妊娠五ヶ月目でお腹が目立つようになるのですこし早めにしてもらえないか、と父さん達はおばあちゃんにたのんだ。
「エエですテ、エエですテ。少々お腹が大きくても、女のシルシですから、式場も予約してあるし、八月だと暑くてお招きする人にも迷惑ですから……」ということだった。
若い父さんたちはドッキンドッキン。年輩のおばあちゃん達は堂々というかっこうであった。
このように、喜生ちゃんがお中にやどったことは、みんなに歓迎されたのだ。
父さんとおばあちゃんの間でくり返されていた、養子になるならないのおし問答も、喜生ちゃんの出現で一時休戦の形になり、その次に柏崎に行ったとき解決させたのである。
喜生ちゃんの早めの出現は、父さんが養子にならなければならないギリギリの瀬戸際の時であった。父さんにとってもキミは救世主かもしれないな。
しかしながら、すべての人に喜んでもらえた訳ではない。
母ちゃんは、まず保育園の園長先生に電話で妊娠したことをつげた。
「エッ。あなたが、結婚もしていないのにまさかあなたが、好きな人がいるとは言ってたけど、妊娠しているなんて……」
興奮した園長先生は泣き出して、取りみだしてたほどだったという。園長先生は四十二歳の独身のとても潔癖な人だときいていた。
「まさか、品田美津子さんともあろう人が結婚前に妊娠するなんて信じられない」という友達の話も耳にした。
「会長という立場もあるんだし、入園しているおとしよりの中には、だらしがない、はずかしいことだと言っている人もあるから、あんまり、できたできたと言わない方がいいよ」と父さんに忠告してくれる人もいたのも事実なのだ。でも父さんは平気だった、うれしかった。
母ちゃんは、はずかしながら、でもよろこんでいた。
静江おばあちゃんは、お籍のことは忘れたかのように喜んでいた。
しかし、母ちゃんの勤めている保育園の四十二歳の独身の園長さんは感情的だった。母ちゃんは、園長先生と同じ政治思想のもとに師弟のような信頼関係で結ぼれていた。保育のことも、園長先生から信頼されていたようである。その母ちゃんが結婚もしない内に妊娠した。
丁度その頃、時を同じくして、同僚の保母さんで、結婚をしないのに妊娠し、人工流産をさせるため入院した人がいた。
「どの人もこの人も、ふしだらに……」園長先生は感情的に泣きくずれたという。
十月十五日の結婚パーティーに園長先生には来ていただきたかった。が、おいでにならなかった。祝電も届かなかった。
その夜、母ちゃんは泣いた。
「園長先生来て下さらなかったね」とおばあちゃんたちの顔も冴えなかった。
はじめの内は、年度末の三月末までは働きたい、と母ちゃんは言っていたが、父さんは、「早く退職した方が、次の保母さんを決めるにもいいだろうから、園長さんに一任した方がいい」といった。
結局、園長先生の思惑もあって十二月末に退職した。
退職する二日前、園長先生は、「本当に貴女には期待していたの……。感情的になってゴメンナサイ、立派なお子さんを産んでね、幸福な家庭を築いてね」といわれた。
その園長先生の一言で、半年間胸につかえていたものがふき出して、園長先生と母ちゃんはオイオイ泣いて別れたのだそうだ。
ともあれ、正式に結婚をしない前に妊娠したことによって、気がつかないところで、いくたの迷惑をおかけしたことは事実であり、母ちゃんは喜びと同時に、それと同じ大きさの悩みもあったのだ。
父さんは、おばあちゃんと“お籍”の攻防戦に夢中だったので気がつかなかったのだが……。
今冷静に考えてみて、やはりキチンと入籍をすませて妊娠するのがいいな。
ただ母ちゃんは、どんなときでも、「オロしましょうか」などとは一言もいわなかったよ。
いろいろうわさをされたときも、「私は産むわ。子ども好きだもん」最後は笑っていた。いい母ちゃんだよ。
生きていくということは、気がつかない所で人さまを不愉快にさせたり、傷をつけたりしているものだ。それだけに、親子三人仲よく、人さまのためになれるよう生きてゆこうな。
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