悪い冗談
母ちゃんは、どんなことでも、大らかに、平気で話すタイプの女性だ。それは今も昔もかわらない。
ある日、父さんが会の本部(下目黒の共同で借りているマンション)に一人でいるところに、母ちゃんが一人でやって来た。
なんとはなしに母ちゃんは、自分のプライバシーのことを話しはじめた。
「私は三歳の時、母の姉(おばさん)の養女になって、小林から品田になったの、だから私は品田家を継がなければいけないと言われているから、おむこさんをもらわなければいけないの」と父さんに話してくれた。
その頃父さんは母ちゃんに特別な感情を持っていなかったから、何も感じるということもなく、
「フ~ン、そうなの大変だね」とよくある世間話だと思って聴いていた。
ある日の夕方のことだ。目黒の小川ビルの会の本部に数人の会員が集まった。
タめしでもつくって食べようか、ということになった。だが男ばかりの四人の生活で米もなければ冷蔵庫もカラッポだった。すると母ちゃんは、
「いいわ私がつくってあげる。なーにお米もないの、私買って来るわ」朗らかな声をあげて、母ちゃんは玄関に出た。
「ネーエ、お米屋さんはどこにあるの」といいながら……。
そんな姿を見ながら、父さんは思った。
外に向って行動的な女性は家庭で料理をしたり、掃除、洗濯、かたづけごとなど苦手な人が多いものだけど、彼女は意外に家庭的な女性なのだな……と。
母ちゃんのつくった手料理をみんなでにぎやかにたべながら、男性会員の誰かがいった。
「品田さん、料理もうまいね、家庭的な女性なんだね」
「ソーヨ、私は料理や洗濯をするのは好きよ」
「お嫁さんになったらいいお嫁さんになるね、キット」
「お兄さんは私にいうのよ、イモネエチャン、イモネエチャンって、そしてね、お前を恋人として連れて歩くのはいやだけど、女房にしたらいい女房になるナ、って言うのよ」
そんなにぎやかな話をしているとき、父さんは言ったんだ、チョッピリごますり気分で、25「ネエ品田さん、ボクは連れて歩いても、自慢できる彼女だし、女房にしてもいい女房になると思うよ、養子にならなくてもいいのなら、ボクが亭主になってもいいんだけどなあー」
その時はほんの軽い冗談のつもりだった。しかし、その時チラッと見た母ちゃんの顔は一瞬しずんだ感じだった。
“悪い冗談をいったな”と後悔をした。その悪い冗談を口にしたことは、ズーット忘れられなかった。
それが三年後に、本当に結婚することになろうとは、神のみぞ知る人の定めというのであろうか。
だからその時も、母ちゃんを“感じのいい娘だな”とは思ったけれども、惚れた、愛したという状態でなかったことは確かだ。
母ちゃんの方はその頃から父さんを好きだったのかも知れないよ。
お見合いお見合いと
母ちゃんは、その頃、同じ年のボーイフレンドがいて、時々映画やハイキシグ、動物園などに行って別のところで楽しい青春があったの。
若いって何でもやれて、自由だなと思っているだけで、まだまだ結婚なんて頭になかったの。
でも、静江おばあちゃん、ヨブ子おばあちゃんは、母ちゃんが養子をもらわなくてはならないので早目に、と何度も何度も見合いをするように勧めたわ。
二十歳で若いので、乗り気になれなかったけどね。
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