40歳、「経験」という鎧を捨てよ

先日、「なぜ、40歳を迎える今、日本語教師の学校に通うのか」という記事を投稿しました。これまで、やれ中小企業診断士だ、簿記だ、とあちこち手をつけては諦め、堂々巡りを続けてきました。

が、ようやく、私の迷い道の理由がわかりました。

それは、「学ぶ主体」を見失っていたんです。

どういうことかというと。

私はこれまで、編集や記者の仕事をしてきました。が、これからもう少しプラスアルファをと思っていた中で、目の前にいるタケやキャリアウーマンなど、他人の資格や経験にばかり目がいっていたのです。具体的には、タケが税理士なので、何か私も会計や税務の仕事ができるように、とか。身近なママ友がコンサルの仕事をしているから、私も、とか。

なんで、他の人の資格やスキルを身につけようと思っていたかというと。
それは、これまでやってきた書くという仕事は当然できる、「自分にないものを」と探していたんですよね。

とはいえ、とはいえ。

いったん、自分と世の中をみたときに、十数年前に培った経験は、必ずしも今の自分を助けてはくれない。もう一度、ちゃんと磨いて戦えるようにしなければならないということに気がつきました。

これから戦わなきゃいけないというときに、みたこともない鉄砲やミサイルの使い方に疲れ果て、一方で、小さい頃から培った刀や槍のスキルはあると過信していたという具合に。

でも、でも……。
私も40歳。
学ぶだけではなく、戦いも続けていかなければならない!

一方で、我が子に世の中での生き方を教えていかなけれなならない!

ということで、初心に戻って、「自分が知っている」という過信を捨て、書くことと日本語を一から学ぼうと決めました。
それが、「日本語教師」であり、「天狼院書店でのゼミ」なのですが。

そもそもは、私も含めた大人は、ほとんどが知らないことばかり。
なんでも学んでやろうという「学習者」であることが、自分にも子どもにも「戦術」を身につける第一歩な気がしています。

そんな中、いま、「ポジティブ・ディシプリンのすすめ」を読んでいます。

これを読んで気づいたことは、「上まぶたの母、下まぶたの子ども」という記事にまとめてますので、ぜひ読んでくださいね。

そして、裸ん坊になった私は、久々に、学ぶって楽しいと感じています。

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