大きくなったら○○になりたい
母「ねぇねぇ、こうちゃんって、大きくなったら何になりたいの?」
息子「えー、何にもならないよ。こうちゃんは、こうちゃんだよ」
イグザックリーーーー!
あなたは、「こうちゃん」でしかないのです。
カフカの「変身」のように、突然、虫にはならない。
「エンジニア」になるのではなく、「エンジニア」に必要なことを学んで経験を積む。
「医者」になるのではなく、「医者」に必要なことを学んで経験を積む。
「ユーチューバー」になるのではなく、「ユーチューバー」に必要なことを学んで経験を積む。
そして、社会での位置付けがわかりやすいように、
職業名を自分にタグ付けしていく。
適当なものがなければ、自分でタグをつける。
この先、いまある職業を早めに選択していくことは、
その職業が衰退したり、その道が閉ざされた時に
大きなダメージが残ります。
そして、
いずれにしても、
自分が何をしたいか、何が好きかが自分でわかっていないと、
どうでもいい世間体や大人のエゴに振り回されてしまう。
そういう意味で、母である私は、
つくづく、「蒸し器」でありたいと思うのです。
蒸し器は、「熱」を食材に与えるだけです。
それで、芋が勝手にでんぷん質をブドウ糖に変えて、野菜の繊維を壊して甘みがでる。
砂糖も塩も加えません。
すると、あれこれ手を加えて出した料理は残すのに、蒸しただけの野菜を食べてくれたりします。
息子にとっても同じことですね。
あれこれ将来を設定したところで、息子と違うベクトルであれば、
息子の中にある資産(=能力や資質)に気づくことはない。
(気づくための経験は与えられますが)
もっとミクロな話に落とし込んでみましょう。
親が「ただただ、見守る」と、
「トイレ行きたい」
だの、
「お腹が空いた。ご飯作って」
と要求してきます。
親が「やらない」と、子は「できる」んですね。
つい2年前まで、後追いをしてきた息子。
次は、母が、君の背中を追いかける番ですよ。
で、お前はどうなんだ?!という話は後ほど。
40歳からは、むしろ社会的なタグが必要だったりします。
そんな矛盾が、大人にはあります……。