資格はとるな、アウトプットする習慣を得よ

資格取得に頓挫した歴史

たとえば目の前に「廣升敦子」という容器があったとする。そのなかに、経験とか知識とか教養とか善意とか……もろもろの要素をインプットしていく。すると、長年かけて、「私」らしい色合いや風合いが滲み出て段々と完成していく。完成するのは、死ぬときかもしれないし、どこかピーク時なのかもしれない。

自分にインプットをつづける……それはだれもが懸命に取り組んでいること。ただ、なかなか何が「私」に入っているのか気づかない場合が多い。ブラックボックスのように、それは真っ暗で手を突っ込むのすら抵抗しちゃうくらいに!

だから、人は往往にして「ラベリング」をする。私の表面に肩書きやら資格やらをペタペタと貼る。

ずっとそうだった。気象予報士にカウンセラーに、最近では行政書士……。何がやりたいのかさっぱりわからないのだが、なにか資格でもとれば仕事に困らず、堂々と自分を名乗れる気がしていた。

ただ一方で、空虚感もあった。

どうしてもその資格をとった私がイメージできないのだ。なぜかというと、なかに入っている要素が見えないから。その資格を生かせるのかあっているのかどうかもピンとこない。

「どうしてもなりたいという熱意がなければ資格をとっても無用」

タケは至極真っ当なことをいう。うん、それはわかってる! 何も言い返せない!

アルバイトする暇があったら、プレミアのノウハウを手中に!

そうそう、「資格がなくてもとりくめる単純作業はしちゃだめ」「人に任せられる作業は人に任せること」……それがパパの口癖。人に転用できるパターン化された仕事に時間をさくほうがもったいない!とのこと。だから、ママは妊娠してから細切れの時間はあったものの、単純作業のアルバイトには手をださなかった。

「そんな時間があったら、本を読んだり、日記を書いたり……」

それは、いま振り返ると「ママらしさ」を見つけて欲しいというパパなりの思いだったんだね。妊娠してからは、廣升健生税理士事務所から専従者給与をもらいながら、ブログを書いたり考え事をしたりして過ごした。

そして、井ノ上陽一先生のブログ講座や阿部信行先生の動画編集ソフト「プレミア」講座を受講させてもらった。これで、ブログの書き方や動画の作り方を学び、いまにいたっているというワケ。

アウトプットで自分が見えてくる

ブログとプレミア講座は、なんとなく自分の分岐点になったような気がする。どちらも「日常の過ごし方」と「アウトプット」を毎日繰り返し、深く考えられるようになったから。

1日は、だれしもが同じ。その質を高めることで、そして自分が認識することで、「あり方」が変わってくる。「どう過ごしたか」「何をおもったか」をブログやメモで可視化することによって、自分の志向性やこだわりがみえてくる。なんとなくざわざわっと。それが、きっと自分らしさで、自分がこの先の何十年かで成し遂げるために必要な要素なのだろう、と。

だから、いまこの瞬間も。

「私は何を積み上げていっているだろうか」

それを真剣に考えている。

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