スズメの学校の先生は
みんなの会では、病気や手術で新鮮な血液を輸血しなければならない患者さんのために、献血協力の奉仕をしてくれる人を紹介する、奉仕活動をしていた。
昭和四十六年九月二十五日。港区に住む和田さんという人から、「五歳の長男が心臓手術で新鮮血の輸血が必要なのですが、AB型の人はすくなくて困っています、助けてくれませんか」とみんなの会に援助を求めて来られた。
会員の協力者が四人検査に行ったが、もう二~三人必要だな、と思っていた。
その時母ちゃんの顔が浮んだ。
患者さんが入院している、日大板橋病院と母ちゃんの淑徳短大とが同じ板橋区内で距離的に近かったのだ。
「そうだ品田美津子さんにたのんでみよう。もしかすると学生仲間でAB型の人がいるかもしれない……」そう思って連絡をした。
「いいですよ、私はB型だから献血できないけれど友だちにきいてみてあげます。AB型の人が検査にゆけばいいんですね」とそれはいとも簡単に引き受けてくれた。
そして検査の日、九月二十七日。
花もはじろう十九か二十歳の女子大生が六~七人、それはそれはにぎやかに、ワイワイガヤガヤ、検査室にやって来た。
「私はじめてだけど大丈夫かしら」
「私はA型で違う型だから見学に来たの」
「もっと必要だったら、友達にもたのんでみょうかしら」などなど、検査室がいっぺんににぎやかになったが、母ちゃんは姿を見せなかった。
「品田美津子さんは今日は来ませんか」と父さんはきいた。
「品田さんはアルバイトがあるからこられないかもしれないと、いわれたので私たちだけで来たんです」とその一人はいった。
みんなの検査が終った頃、鼻の頭に大きな汗をうかべながら、例によって例の通り、子どもの象さんがコロゲるような走りかたで、太い足に短いミニスカートをピラピラさせながら、母ちゃんがやって来た。
「みんな大丈夫だった、もう検査終ったの、結果はいつ解かるの」と矢つぎ早にきいていた。
女子大生はみんな母ちゃんのクラスメートで、母ちゃんの一声で検査にやって来た人たちなのであった。
かわい子チャン女子大生の中で一きわ目立った大柄な母ちゃん、その母ちゃんを囲んで、血液検査の結果のことなど話しあっているさまは童謡の中にでて来る、スズメの学校のセンセイは、のチイチイパッパを連想させる何かしらほほえましい和を感じさせた。
父さんはその姿を見て、気がるに引き受けて、七人もの友人を連れて来てくれた母ちゃんの行動力に感謝の気持がわいていた。
“品田さんは、みんなの人望があるんだなー”と思った。
しばらくすると母ちゃんは、
「ネエ、私、アルバイトがあるのよ、行かなくっちゃ、詳しいことはまたあとで、会長さんから聞いてみんなに連絡するわ、明日学校でね、今日はどうもありがとう」そう早口で告げ、他の女子大生を残して、例の通り、子どもの象さんがコロゲるような走りかたで、短いミニスカートをピラピラさせながら、スタコラサッサと病院の廊下のむこうに姿を消した。
その後姿を見送りながら、“今回の献血者捜しは彼女にまかせても安心だな“という安堵感につつまれた。
困った人がいるとすぐに「いいわよ」と引き受ける行動派母ちゃんなのだ。たくましい生命力を感じさせる母ちゃんだった。
“いい娘だなー”と思った。
しかし、そこでも父さんは、それ以上のものは感じなかった。
彼女と一緒になりたい、などと思う気持はみじんも感じなかった。くどいようだけど念のため。
母ちゃんの方は、その頃から父さんを一人の男性としてみていたのかもしれないけど……。
純粋な気持からよ
母ちゃんは、じいっとしているのが嫌いなの、何か人のためになるといわれればハッスルしちゃうの。
父さんから、小さなボーヤが手術をするのに献血協力者がいないだろうか、と相談されたので、すぐに引き受けて、翌日登校して休憩時間に級友ひとりひとりに声をかけて頼んだのよ。
生命にかかわることなので母ちゃんは一生懸命おねがいをしたの。
これは、父さんを好きだからやったのではなく、少しでも協力できたらと純粋な気持からのことなの。
父さんは、母ちゃんがはじめから父さんを好きだったように感違いをしているようだけど、父さんは年齢が十一歳も上だし、ずーうっと大人に見え、むしろ尊敬していた気持の方が強かったようね。
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