時間を消費して「ストック」する幸福論
自分の時間、週に何時間持てていますか
週に、35時間。
1日7時間、月曜日から金曜日まで。
仕事や通学を含めて、
こどもと離れて過ごす時間です。
純粋に「1人で自由に」という時間は、
もっと限られてくるでしょうが、
サラリーマンや小さい子を持つ専業主婦の方なら、
なおのこと少ないでしょうし、
介護や家族のお世話にあたる方はもちろん、
さらに1人になれる時間は、
「ゼロ」に等しいかもしれません。
そうしたさまざまな「やるべきこと」を抱えながら、
全国のママたち(パパも)は、子供との時間を最優先に確保し、
その合間、合間で、ご飯だ、洗濯だ、掃除だ……と
こなしていると思います。
時間は椅子取りゲームだった
走って、走って、走って……。
そうして走っているうちに、
時間は、過去へ置き去りに。
そして、当人も周りの人もその時間を忘れてしまい、
宇宙空間の泡沫となって過ぎていってしまいます。
果てには、
夫から「日曜日、仕事だからやっぱり子供みられないわ」とか、
仕事で「ちょっと残業お願いしたいんだけど」と言われると、
もう相手に自分の時間をコントロールする権限を渡してしまい、
「あ、うん……」と従わざるを得ません。
気づけば、
「誰か」の人生に、自分の時間を捧げっぱなしに。
1年前は、そんな状態にイライラしていて、
夫に対して「もう、たまには子供の面倒見てよ!」と
仕事でも、「そんな無駄な仕事振らないでよ」と
不機嫌になってみせたりしていました。
おそらく、それまではわたしの中で、
「時間」が椅子取りゲームみたいなもので、
「誰から奪った」
「誰に取られた」
「取られたら取り返す」
くらいの戦闘モードにあったのでしょう。
過ぎていく時間は貯めることができる
ですが、
最近、夫と話したり、親の介護を迎えた知人の話を聞くにつれ、
少しずつわたしの中で時間の概念が変わってきました。
時間で大切なのは、
長さではなく、価値。
流れるものではなく、貯めるもの。
もし、いやな仕事しか振られなければ、
それは、自分が自分の時間に価値をつけてこなかったせい。
1時間、自由に使える時間があっても、
ネットサーフィンをしているくらいなら、
それを有効に使える人に託したほうがいい。
そして、時間を切り取り言語化・ビジュアル化して
記録として残すことで「貯める」ことができる。
実際、このブログをはじめて、
1000以上の記事が蓄積されました。
すなわち、「時間」がストックされて、
いつでもそのときの気持ちに
戻ることができているというわけです。
時間は授かりもの、40歳でようやく気づいた
先日、40歳の誕生日を迎えました。
そうしたら、母から、
「感慨深い」というメッセージをもらいました。
仕事と介護をしていた母には、
「1人の時間」はなかったことでしょう。
だけれども、仕事以外で預けられたという経験はないし、
そのことで母が不機嫌になっている記憶もありません。
母の真意を聞いたわけではありませんが、
家族と過ごすことが「価値」だったのではないかと思います。
そして、
父と母に40年という時間をもらっていることに、
今更ながら気づき……。
言い換えると、こんなことに気づくのに、
40年も経ってしまいました。
身近な家族は時間を妨害する存在ではない。時間に価値をくれている
一方、いま、わたしの時間に価値をくれているのは、
他でもない夫です。
誕生日前日、夫が花束をくれ、久々に二人でランチをしました。
気づけば、この人に時間をもらってるのだなと、
しみじみ思いました。
それは、物理的に
「一人にしてもらっている」
「距離を置いてもらってる」
ということではありません。
わたしの時間に、価値を作ってくれました。
日々の会話。
大事なものに優先順位をつけてくれ、
ブログを書くきっかけをくれ、
大事なことの確認に付き合ってくれ、
結婚当初、仕事でふさぎこんでいた時に、
「大丈夫、これが物語のたった1行になるから」と言ってくれ、
(事実、1行くらいのつまんない話になってる)
日本語教師の学校に行くことを勧めてくれ、
友人や知人を増やしてくれた。
ともに、時間を作り上げてくれたのだと。
そう思うと、
最近、息子がスキンシップしてくる頻度が減ってきているこの頃、
過去に一度でも、「この子から離れて一人になりたい」と
思ったことをとても未熟だったなと思っています。
時間とは、奪ったり、奪われたり。
それでも、勝ち負けではなく、
そのプロセスを喜び合うことではないかと思います。
ときに、
家族は、一人の時間を妨害してくるかもしれません。
しかし、そのことは、時間を消費してしまうのではなく、
むしろ、
時間の価値を高めているのではないか、と。
たった一人の観客に向けて最大のパフォーマンスを
そして、わたしの時間はなんのためにあるか。
それは、たった一人や二人の観客のために、
より良いセリフを吐き、一つでもそのセリフを
覚えて帰ってもらうことではないかと。
わたしは、その日までに、
まあ、拙いパフォーマンスを
精一杯続けたいと思います。
上演時間は、限られていますから。
呼吸の一つ、振る舞いの一つ、
「観てよかった」と思っていただきたい!
そう思えた時には、
また、
花束をください。
廣升敦子(アコ)のプロフィール
日本語教師、上級心理カウンセラー
宮城県出身、東京都在住。千葉大学で小中学校(英語)免許を取得後、教育専門紙の編集記者に。その後、フリーランスのリサーチャーとして、N=1のインタビューを続ける。我が子の成長や親の葛藤を綴ったブログ「コレ芝」でのエピソードは、中京テレビや日経MJ、朝日小学生新聞などで紹介。息子が2歳の時に始めた語句の詰め込み教育を通し、4ヶ月で800語の四字熟語を覚える。これに味をしめて、現在は日本語教師として外国人や児童に日本語を教えている。
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